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2016年2月29日

人類最古の歯ブラシは、三千年前から使われていた楊枝である。歯磨きに関する最古の記録は、古代中国の敦煌の壁画にあるらしい。楊子で歯を磨く人が描かれている。これもまた、いわゆる歯ブラシである。歯ブラシと歯磨き ~世紀の発明!

さて、人類最古の歯ブラシである「楊子」、現在の「植え込み式の歯ブラシ」、そして弊社が開発・製造している「360°型円筒歯ブラシ」にも通じるものとして、歯ブラシを定義すると以下のようになるだろう。

歯ブラシとは、【歯面に付着している歯垢などの付着物を人工的に除去するのにもっとも合理的で、簡単に使用できるように設計された歯口清掃用具である。】

日本では、歯ブラシが医療材料でも、薬品でもなく、雑貨、化粧品として位置づけられているので、歯ブラシの発展は遅いかもしれない。

歯ブラシの改良が必要なのに変わらないのは、歯科医がそれほど関心を払っていないことにも、原因があるのだろうか。虫歯、歯周疾患に対し、現在の歯科医学が取り組むべき課題は、非常にたくさんある。

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2016年2月27日

歯周病(歯槽膿漏):

歯周病(歯槽膿漏)は、現在でも30才以上の成人の約80%が歯周病にかかっており、 歯の喪失原因の第1位になっている。

歯周病とは、かつては歯槽膿漏と呼ばれ、歯の周りの歯ぐき(歯肉)や、歯を支える骨などが破壊される病気で、不治の病とも言われていた。現在では歯周病は、予防でき治療も可能だと言われている。この15年の間に、歯周治療は急速な進歩を遂げ、現在では進行を阻止することが可能となり、健康をとりもどすことができるようになった。

やはり、対策は「正しい歯ブラシの方法で毎日実行すること」が一番。

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2016年2月26日

唐の詩人に韓愈という詩人がいた。歴史を知っている人ならご存知だろう。「落歯」と題した自らが歯槽膿漏で苦しんだ詩である。

去年は奥歯が一本抜け、今年は前歯が一本抜け、そうかと思うとにわかに6,7本抜けていき、その勢いはいっこうに止まらず、残りの歯もぐらつく。歯の詩【落歯】 ~昔も歯槽膿漏!

全部抜けてやっと収まるのかもしれない。最初の一本が抜けた時のことを思い出すが、隙間ができて恥ずかしいと考えた。二本三本と抜けていくと、弱ってそのまま死んでいくのではないかと心配しだす。

一本抜けるたびにびくびくし、不安に取り付かれ、物を食べるのにも不自由だ。うがいをするのもびくびく、歯がわが身を捨て、抜けるときは、山が崩れ落ちるような気持ちになった。

作者の韓愈は当時40歳くらい。明らかに彼は歯周病患者であったと思われる。韓愈は、今の大学教授のようなものだが、研究に熱心で、歯磨きの時間も無駄に思えたのだろうか。なんとも、現代の歯周病で悩む人が共感できる詩である。

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2016年2月25日

ナイロン:

今では歯ブラシと言えばナイロン製に決まっているが,そのナイロン製歯ブラシが誕生したのは62年前の今日 2 月24日だった。米国はニュージャージー州アーリントンのデュポン社の工場で,1938年 2 月24日,歯ブラシ用のナイロンの毛の生産が始まっている。

奇跡の繊維と呼ばれたナイロンは,長年の合成繊維開発への努力の末,Wallace H. Carothers(1896~1937)を中心としたデュポンの化学者たちによって1935年に発明された。生糸のようにしなやかで光沢があり,はるかに丈夫なナイロンは,38年から本格的に大量生産された。

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2016年2月24日

西洋では、植毛歯ブラシは、18世紀後半に英国人アディスという人物によって作られたのが始まりといわれる。当初は、骨の柄に穴を開けて自然毛を針金で留めたものが、現在の歯ブラシの初期形態と見られる。植毛歯ブラシ誕生 ~ついに歯ブラシ

日本では、庶民に浸透した清掃用具である「歯木」が房楊枝という名で大正のころまで使われている。現在のような歯ブラシは、明治初期に西洋文化とともに流入した西洋歯ブラシの模倣品を作製したことに始まるという。

初めは、歯ブラシは製造されたが、歯ブラシ自体への関心は薄かったようである。歯ブラシが一般に普及し始めたのは、明治20年代のころで、清掃用具として完全に位置づけられたのは、もう少し後になってからである。 
 
一方、すべてが手工業であった歯ブラシ製造も、1884年(明治17年)ころ、綿撚車の回転を応用して、柄の穴あけが機械化されるようになった。しかし、歯ブラシ生産の本格的な機械化、材料などの研究開発は、戦後になってからである。また、歯ブラシの素材にナイロンが使われたのも、日本は戦後になってからであった。

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2016年2月23日

口臭の原因:

口の中には、口臭の原因となる口内細菌の巣が2カ所あるといわれる。1つは、歯と歯ぐきの間のすき間である「歯周ポケット」である。ここに巣くう歯周病菌は、強い口臭の原因である。

もう1カ所は、舌の奥が白く苔状になる「舌苔(ぜったい)」の部分である。これは、病気やストレスで、だ液の分泌が減少すると現れたりもする。舌苔を増やさないためには、1日1回、柔らかめの歯ブラシまたは、360°歯ブラシや舌ブラシで、舌の奥を縦方向に軽くこするといい除去できる。

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2016年2月22日

日本では、平安時代の「病草子」という絵巻物に楊子で歯を磨く中年女が描かれている。例えば、「口臭はなはだしくて傍らなる人その臭気に耐えがたし・・・」という記述のある絵巻物が残されている。平安美女の口臭 ~昔も今も・・・

中年の女が歯楊枝で歯を磨き、そばの2人の女性が袂で口をおおい、口臭を防いでいる絵。「都に女あり、・・・・・、よそにいる男、こころをつくしけれども、いきのか、あまりくさくて、ちかよりぬれば、はなをふさぎてにげぬ、・・・」と。

100年の恋もいっきに醒めるとはこのことであろうか。現在は、エチケットとして、男性も口臭予防に関心を持つようになった。しかし、女性の関心の方がはるかに高いだろう。昼間、女性のトイレで歯を磨く女性が、日常的にいるのだから。

また、平安末期の絵巻物「病草紙」で、歯楊枝で歯を磨く女性も描かれているが、口臭は歯の不潔が原因で起こることを平安時代の人々も知っていたのである。


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2016年2月20日

古代エジプトの歯磨剤:

驚くべきことに、西洋では、古代エジプト(BC3000-1500頃)の「練り歯磨き」と「粉歯磨き」のことが全長21mの長さのパピルスに詳しく記載されているそうである。練り歯磨の組成は、下記の通り。
  
   <煉り歯磨き>
     ビンロウ樹の実(タンニン)  
     緑粘土     研磨剤・粘結剤     
     蜂蜜       粘結剤、甘味料として     
     火打ち石(石英の一種)  研磨剤
     緑錆       細菌抑制効果 殺菌作用


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2016年2月19日

歯口清掃の歴史は、わが国において、自然発生的に発生してはいたが、中国あるいは西洋との文化交流があったことによってさらに発展してきたといえる。

歯磨きの方法も昔から伝えられてきた。曹洞宋の開祖・道元は著書「正法眼蔵」の洗面の巻きで、歯磨きの方法を論じている。現代でも通用するというから驚きである。日本の歯口清掃 ~歯ブラシの生い立ち

それほどまでに歯磨きにこだわったのは、弟子の口臭が耐えられなかったからというから、いかに歯の磨かない人間の臭いこと。彼は、どんな修行も苦にはならなかったが、耐えられなかったのは、毎日接する徳の高い僧たちの口臭であったという。


ちなみに、他の国で歯ブラシの「原型」が作られたのは、いつの時代かを限定するのは難しいといわれる。というのも、例えばエジプトで発掘された古器物の化粧品箱の中から、長さ1.5センチくらの獣毛を束ねたものが出てきたが、それが"はけ"なのか"ふで"なのか"ブラシ"なのか区別がわからないからである。

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2016年2月18日

日本で最初の歯刷子(歯ブラシ)会社とは:

日本歯ブラシ業界紙によれば、明治維新後の日本に西欧文化が導入され、明治7、8年(1875、1875年)に政府が鎮台(GARRISON)(明治初年に各地におかれた軍隊)用として、衣服、軍器用、馬用5種類を一組とした木製ブラシの製作を大阪の商人に依頼したのが日本でのブラシ製造の始まりである。

明治21年(1888年)に日本最初のブラシ会社、盛業株式会社を松本重太郎氏が大阪市北区下福島に設立した。同社は明治22年(1889年)にはブラシの製品見本を米国に輸出している。


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2016年2月17日

日本では、歯ブラシの誕生は、明治初期。「楊枝・房楊枝 」に変わり、「クジラ楊枝」に変わった。田部其外らが、当時、インド(イギリス領)から伝わってきたのをまねて、クジラの髪と、馬の毛を合わせてつくったのが歯ブラシの始まりと言われている。しかし、まだ歯ブラシとは呼ばれずに、「クジラ楊枝」と呼ばれていた。大阪を中心に販売されていた。 歯ブラシの名称由来 ~名前は!?

「歯ブラシ」という名称が使われた最初の記録は、内国勧業博覧会の出品記録で、1980年(明治23年)、大阪盛業会社が【歯刷子】(歯ブラシ)という名称で出品してからである。

この時、ほかにも名称は異なるが「楊枝」として何点かの出品があったらしい。また商品名として「歯刷子」の名称がつけられたのは、牛骨の柄に豚毛を植毛したもので、ライオン社から発売された「萬歳歯刷子」が最初である。

歯口清掃は、文化や歴史的な背景のもとに楊枝の使用から、歯ブラシへと変わった。現在では、歯ブラシは、生活必需品というよりも保健衛生用品として、価値が大きく認められるようになった。


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2016年2月16日

中国が一番!早かった「現代と同じ形の歯ブラシ」:

中国では10世紀、西洋では17世紀、日本では明治末期。 

中国で10世紀の王の墓から、象牙の柄に動物の毛を2列8個の穴に埋め込んだ歯ブラシが発見された。いわゆる現代の歯ブラシの原型といえるだろう。15世紀の中国では、シベリアブタの剛毛を竹や骨の柄に縛りつけた歯ブラシが中国で作られるようになった。

その後、東洋へ出かけた交易人が中国製の歯ブラシをヨーロッパに持ち帰り、柔らかい馬の毛で歯ブラシを作ったと言われている。


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2016年2月15日

西洋では、17世紀代に「現代と同じ形の歯ブラシ」が作られたと言われている。しかし、18世紀になってもまだまだ使用されなかった。 当初は、「得たいのしれないもの」として人々に見向きもされなかったそうである。歯ブラシの進化 ~骨の歯ブラシ!?

一般家庭での歯磨道具はもっぱら、木片や布、スポンジが使われており、実際は、磨くことより含嗽したり歯を拭くことが主であった。「歯ブラシ」は、贅沢品であり一般庶民には高嶺の花。一部の貴族達や、上流社会で使用されたにすぎなかった。


その西洋で開発された植え込み式の歯ブラシは、徐々に認められ、ついには知識人の間で話題の種までになるにいたった。17世紀後半から18世紀半ばが、フランス、オーストリア、イギリス、ドイツ、イタリア各国の上流社会で歯ブラシが盛んに使われていたそうである。

昔は、歯ブラシの軸の材料として、牛の骨が使われていた。骨に植え込むのが主流であった。骨の軸が使われなくなったのは、第二次世界大戦中に、職人が兵士に取られ、骨がスープの材料に使用されたからであるらしい。


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2016年2月13日

歯口清掃の起源は世界共通?:

歯を磨くという習慣は、医学的な見地からではなく、信仰とともに起こったようである。人々は神に祈る前の身を清める作法の一つとして、歯口清掃を行なうことが多かった。

それは、まず「口を漱ぐ」ことに始まった。口を漱ぎ、歯を摩擦するために、人々は歯磨剤を作り、「歯木」と呼ばれる木片で歯面をこそぎ、歯間部の食物残渣を取り除くために「爪楊枝」を作り出した。

その後、世紀の発明と言われる「歯ブラシ」へと受け継がれていった。 

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2016年2月12日

710年にイスラム教を設立したマホメットは、予言書の中で「口の中をきれいにしないさい。それはとりもなおさず神を讃えることである」と言っている。

イスラム教徒は、必ず、浄化の場所で、「ミスワーク」と呼ばれる木片で歯を磨く。

そのあと、仏教徒と同じように鼻や耳の穴を洗浄する。

歯ブラシは、サトウキビやユリの根や桜桃の木などで作られ、噛んで歯を磨いていたという。

昔、アラブやイスラムの地に遠征したヨーロッパ十字軍の兵士たちは、イスラム教徒の歯磨習慣を目の当たりにして、「やつらは、ああして牙を磨き、俺たちに噛み付くつもりなんだ」と恐れたらしい。

一方、ヨーロッパでは、12~13世紀に至るまで、楊枝すら使っていなかったとされる。

彼らは、歯間部の食片を除去するのに、ナイフ・フォーク・指の爪を用いた。

入浴が贅沢だった時代に、歯磨きが人々の気持ちの中に入り込む余地などなかったと思われる。


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2016年2月10日

江戸時代の楊枝:

日本では歯木のことを「楊枝」、房楊枝」と呼ばれていた。江戸時代には、一般庶民に広く普及し、楊枝は全盛期を迎えた。

特に、吉宗の頃「さるや」という楊枝屋の楊枝が有名で、この店は300年経った今なおも日本橋で営業しているそうだ。「柳屋」の看板娘のお藤さんも有名で、お藤さん目当てに男性が多くたむろしたとのこと。また、江戸時代には楊枝だけでなく、中国の晩唐でもあったように、指に塩をつけて磨くことも行われていた。

このように、明治初期まで楊枝が使われたが、次第に「現在の歯ブラシの形に似た歯磨き道具」に移行し始めた。


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2016年2月 9日

風味のよい樹木の小枝を楊枝にしてくわえ、口によい香りを残すことが歯ブラシの元になったようである。楊枝は、3千年前から使われ、その役割は歯に残った食べかすを取り除くことに限定されはしなかった。

楊枝がデザイン化され、装飾品として使われている時代もあった。歯ブラシは、様々な形で様々な国の文献に登場しているようである。歯木としての歯ブラシは、繊維質の多い木の棒を15センチくらいに切って、一端の繊維をほぐしブラシの役目をさせる。

厳密な意味で「歯ブラシ」と呼ばれるかは疑問だが、地域によって、歯木、小枝ブラシ、などと呼ばれる繊維質の多い木の棒が、長い間多くの人々によって歯ブラシ代わりに使われてきたのである。

アステカ族やナワ族の祖先は、古代中国やインドに見られる歯木を使い、歯茎に適度な刺激を与え、マッサージをしていたらしい。それは非常に効果的な利用法だったと思われる。*歯ブラシの最も重要な役割は、歯茎の組織に刺激を与えることで、歯を磨くのは2の次である。

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2016年2月 8日

仏教伝来ともに伝えられた「歯木」:

釈迦の時代、口腔清掃の記録はインドの大医スシュルタの書いたスシュルタ本典(SusrSamhita)等に記載されている。

釈迦は仏教経典の中でこれを歯木(しぼく)と言い、梵語でダンタ・カシュタ(danta-kasthta)と言う。

この時代の歯磨きは、歯を清め口中を爽快にすることが中心であったらしい。

使用方法:.

先1cm位を石で叩いたり、歯で噛み砕くいたりしてボサボサにし、それを良く噛む。

効果:

喉の通りをよくし、咳の緩和、舌の動きを活発にして食欲増進、傷を癒えやすくし、大腸を活発化にさせる。


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2016年2月 6日

歯に関することは、宗教とのかかわりも大きい。植え込み式の歯ブラシが発明されるまで、東洋の人々は楊枝(ようじ)を使っていた。

インドが楊枝のルーツと言われるが、仏教をおこした釈迦は、あるとき弟子たちに木の枝で作った歯ブラシで歯を磨き、口の中、特に歯を清掃することの大切さを教えたという。日本では仏教伝来と共に、楊枝はインド(歯木と呼んだ)からアフガン-中国-日本に伝わった。

釈迦が木の枝を野原に投げると、その小枝から根が生じて大木となった。人々はその力の大きさに驚き、その木を「インドボタイジュ」と名付けた。そして、その木の枝を取って、歯を磨くようになったという。

日本には、538年に仏教とともに歯木が伝わり、僧は仏前に礼拝する前に身を清めるために歯を磨いた。これが、歯磨き習慣の始まりである。


歯口清掃の起源は世界共通のものがある。それは医学的な見地からでなく、信仰とともに起こったようである。人々は、神に祈る前の身を清める作法のひとつとして、歯口清掃を行うことが多かった。それはまず「口を漱ぐ」ことに始まったのである。


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2016年2月 5日

「歯を喰う虫」:

帝政ローマ時代の歯磨剤は、動物の骨を焼いた骨灰や卵の殻を焼いた灰を用いて歯磨き粉をつくったらしい。時には、含嗽剤として朝夕に採った少女や、処女の尿で含嗽したという。そもそも、むし歯の原因は、AD1世紀の古代ギリシャ時代から、18世紀まで「歯を喰う虫」と歯医者もそう思いこんでいたらしい。19世紀初頭から、どうも違うようだと疑いが始まる。

やがて、コッホやパスツールらによる細菌学の発展に始まり、この細菌学の発展とともに、19世紀中ごろから数多くの病原菌が発見され、歯科医学においても今日の口腔衛生の基盤となる口腔細菌が発見されている。


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2016年2月 4日

原始の人々は、硬くて繊維の多いものを食べていたことはよく知られるところである。だから、比較的虫歯も少なかった。彼らは、歯の隙間に挟まった食べかすを取り除くために、生活圏内の草や小枝を使って取り除いていた。前一九世紀バビロン第一王朝が成立。以後、カッシート人・アッシリアの支配を経て、前六二五年から前五三九年にかけて新バビロニア王国が栄えた。

紀元前5千年のバビロニア人は、食前に必ず麻の繊維を指に巻き、歯の清掃をしていたという。そうして歯磨きは、バビロニア人からギリシア人へ受け継がれていく。さらにギリシア人は、さらに口をすすいで歯ぐきにマッサージを施すことを考案したと言われている。

*歯磨きとは、歯だけを磨くことではなく、歯と歯の間の汚れを取り、マッサージすることなのである。

 宗教的な慣習の中でも、口内衛生の意識は、紀元前から具体的な形をとって存在していた。例えば、日本における歯ブラシの起源として、6世紀に仏教伝来ともに伝えられた「歯木」で、この習慣は、仏教経典に楊枝による浄歯が一儀式としてあった。それが、歯や舌を清掃することとして始まったといわれている。


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2016年2月 3日

国内の歯ブラシ:

日本で現在のような歯ブラシが作られたのは明治5年。明治23年の第3回内国勧業博覧会で歯刷子(ハブラシ)の名称で出品されたのが、「歯ブラシ」という言葉が使われた始まりといわれる。インドから輸入したイギリス製の歯ブラシを見本に、鯨のヒゲで柄を作り、馬の毛を植えたのが、現在の歯ブラシの原型。その後、1903年(大正3年)に小林富次郎商店(現在のライオン)が「万歳歯刷子」を発売。

国内生産量:

国内でおよそ4億5千万本/年が生産されており、国産歯ブラシは大部分が大阪府で作られている。中でも八尾市に集中しており、近鉄八尾駅前には「生産高日本一」を記した歯ブラシ型のモニュメントが設置されている。


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2016年2月 2日

何千年も前から、人間は歯を磨いていた。昔から当たり前の習慣だった。しかし、「歯ブラシ」は昔からあったのだろうか? 現代はますます、加工食品などの普及により、食後の口内の不快感はもとより、虫歯や歯周病で悩む人々が増え、歯を磨く必要性を誰もが感じている。

歯ブラシの歴史
 歯磨きは、虫歯や歯周病を防ぐために、歯磨きをする人がほとんどである。しかし、最近では口臭を抑えるエチケットとして磨く人も多い。また口臭の原因でもある舌苔を取るために舌ブラシというものも普及してきている。

 また、昼食後にも歯磨きをすることで、間食をさけるというダイエット効果をねらう女性も多いそうである。これらの変化は、日本人の清潔志向はもとより、歯科疾患の予防・治療としての歯磨きの重要性が浸透してきたことだと言ってもよいのかもしれない。

 厚生省による「歯科疾患実態調査」では、昭和32年では歯を磨かない人が21.22%であったのが、平成11年の調査では磨かない人は1.29%である。データを見るまでもなく、オーラルケアの関心は、日に日に高まっているのが現状である。


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2016年2月 1日

思いがけずに痛くなるのが歯です。

良い治療が長く良い状態を作り、結局長い目でみると得をするとわかっていても、急な出費は困りものです。

価値のある自由診療を選択される方の中には、クレジットカードやローンを使われる方が増えています。

ここで『スルガ銀行デンタルローン』の特長を紹介します。

⑧生命保険料付き ・・・ 選択OK(保険料銀行負担)


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医療法人若葉会吉村歯科医院理事長吉村禎浩

医療法人若葉会
吉村歯科医院

院長 吉村禎浩

【経歴】
1956年1月25日生まれ
1982年 岐阜歯科大学 卒業(現朝日大学)
1984年 吉村歯科医院 開業
2008年 医療法人若葉会 吉村歯科医院 設立

吉村歯科医院では、自分が受けたい治療、もしくは家族にしてあげたい治療を心掛けています。歯を失う二大疾患である『虫歯』と『歯周病』は防げます。メンテナンスをして、ご自身の歯を大切にして下さい。当医院では適切な治療とケアでお口の健康を守ります。

【経営理念】
『来院者とチームメンバーの幸せの輪を広げる』

【ミッション(使命)】
『安心と信頼のある歯科医院作りを目指す』

【所属学会・研究会】
O.A.M先進インプラント認定医
顎咬合学会認定医
国際審美学会会員